いつもその週の重賞を迎えるに当たり、いの一番に思い浮かべる馬は?と自問するのだが、今週の京王杯スプリングCの該当馬はヤマニンゼファーだった。
また古い話を…と思われる方もいるかもしれないが、確かに30年近くも前の話。
1990年代初頭に活躍した短距離の名馬だけど、この90年代って自分の中ではつい最近のイメージだったのに、もうそんなに経っていたのかぁという感じ。
これだけ長く競馬に携わってきても、どうしても競馬を始めたこの頃の印象が強くなる。いま競馬を始めたばかりの方も、きっと30年後に今の時代の活躍馬を懐かしむんじゃないかなぁ。
なんてことは置いといて、このヤマニンゼファーだけど、京王杯SCには2度出走していて、1度目はダートの準OP(しかも1200m戦)を勝った直後の参戦で8番人気3着。
ダートの格下馬だから人気がないのも無理はない。3着ならかなりよく頑張った方だ。前年のスプリンターズSの女王ダイイチルビーや同じくマイルCSの覇者ダイタクヘリオスらに先着したのだから立派も立派。
単なるダートの短距離馬(と思われていた馬)が前哨戦でこれらG1馬に先着したところで、だいたいフロックと思うものだが、この馬のすごいところは、次走の安田記念を11番人気で楽勝してしまったこと。何度も言うが、2走前にダート1200mの準OPを勝ち上がったばかりの馬だから快挙といっていい。
確かに3歳時にクリスタルCで3着、900万を勝ったばかりの身で挑んだスプリンターズSで7着という実績とも呼べないようなキャリアがあるにはあった。ただ、スプリンターズS7着でも「本当によく頑張ったねぇ」と奮闘を称えられるような馬が、わずか半年でマイルの王者に君臨するとは誰が思ったことか。
ヤマニンゼファーが3歳時に7着と敗れたスプリンターズSの覇者は、短距離戦線で名を馳せた超良血のダイイチルビーという牝馬だった。このスプリンターズSは直線だけで2着馬に4馬身もつける圧勝を飾っていた。この年は春の京王杯SCと安田記念も連勝し、秋のスワンS、マイルCSを2着、そして最後にこのスプリンターズSの圧勝とまさに人生(馬生)を謳歌していた。
しかし、これほどの名牝が、ヤマニンゼファーが3着と奮闘した京王杯では5着に敗れた。そして、ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ安田記念では何と15着と大敗を喫した。
ヤマニンゼファーの成長力にもたまげたものだが、ダイイチルビーの急激な衰退ぶりにも驚きを隠せなかった。牝馬は一度調子を崩すと立て直すのが難しいという格言を体現した馬で、秋の再起を目指すことなく、この安田記念を持って引退した。
さて、ヤマニンゼファーの2度目の京王杯SC。
前年の安田記念の覇者として堂々の参戦だから、よもや8番人気ということはない。しかし意外にも2番人気。
というのも、ダイイチルビーの去った短距離界に新たな才媛が彗星のごとく現れていたからだ。その名もシンコウラブリイ。藤澤厩舎の秘蔵っ子で、3歳時には重賞3連勝。
中でも当時、ミホノブルボンに勝てるとしたらこの馬しかいないと評判になったほどのヒシマサル(外国産馬のためミホノブルボンとの対戦の機会はなかった)を下したニュージーランドトロフィーは、ラブリイのたぐいまれな才能を世に知らしめたレースであった。
ヒシマサルを下したラブリイ自身も外国産馬だったためクラシックには出走できず、出走機会のあった重賞を連勝し、もはや3歳牝馬同士に敵はいないとばかりに、秋にはジャパンカップへの出走を掲げていた。
そして、かつてはジャパンカップの前哨戦の意味合いもあった富士S(当時はOP)で古馬と初対戦し、直線持ったままで古馬を一蹴してしまった。6頭立てのレースではあったが、すでに重賞をいくつも勝っていた古豪カリブソングや、のちにダイワスカーレットの母となり、自身も重賞ウイナーであったスカーレットブーケらを相手にせぬ楽勝であった。
結局、気性面を考慮してジャパンカップへの出走は見合わせたが、富士SからマイルCSへの連闘という驚愕ローテを選択。勝てはしなかったものの、強豪ナイスネイチャらに先着して2着を確保。3歳牝馬としては上出来すぎる結果を残して4歳に向けて明るい未来をともしてみせた。
そのラブリイが古馬となり、安田記念を見据えて参戦してきたのがゼファー2度目の京王杯SCであった。ゼファーとラブリイの初対戦。しかし、それまでほぼパーフェクトな戦歴を誇っていたラブリイとはいえ、前年の安田記念の覇者ヤマニンゼファーを向こうに回して1.5倍の断然人気は恐れ入った。
が、ここは一年先輩のヤマニンゼファーに軍配が上がった。ゼファーが大きく離された2番人気に甘んじた原因にもなったであろう59キロという酷量をものともせず、着差以上の完勝であった。
実は当時、私はシンコウラブリイを応援していたので、ヤマニンゼファーにねじ伏せられたこの敗戦をちとショックであった。しかし、次走の安田記念では逆転も…という期待も抱いていた。ラブリイはもともとマイルの方が強い馬だったから。
そして、迎えた安田記念。
ヤマニンゼファーは今回も2番人気。前年の覇者で前哨戦の京王杯も完勝しても2番人気とはどんな強敵がいたんだよ?
当時を忘れていた私も、一瞬シンコウラブリイが再び1番人気だったっけか?と思ったが違った。
ラブリイは3番人気で、1番人気はラブリイの同期でライバルでもあった前年の桜花賞馬にしてスプリンターズSでゼファーを下していたニシノフラワーであった。
このニシノフラワーは、前哨戦にマイラーズCを選択し、ここにはゼファーも出ていたのだが、3馬身半もつける完勝。スプリンターズSに続いてゼファーを従えて優勝していたのだ。
京王杯でシンコウラブリイに完勝したヤマニンゼファーを相手に連勝していたニシノフラワー。しかも前哨戦では楽勝だから、フラワーが人気になるのも無理もない構図であったが、本番の安田記念に向けてどの馬も上積みがあると思えば、どの馬が勝つかは予測もつかない。
私はラブリイの上積みに期待していたし、ゼファー、フラワーといったライバル以外にも、ニシノフラワーの前年の無敗の桜花賞馬シスタートウショウ、鉄の女の異名を持ち、常に強豪牡馬と渡り歩いてきたイクノディクタス、前年の天皇賞秋を2着して、前哨戦の中山記念を勝ってきたムービースター、さらには外国からの不気味な刺客が2頭ほどいたりして、本当にワクワクする安田記念だったのだ。
しかし、結果はヤマニンゼファーの楽勝だった。
今でも語り草となるほどの壮絶な2着争い(ぜひ映像でチェックを)をしり目にひとり悠々と抜け出したのがゼファーであった。11番人気で勝った前年に続いての堂々たる連覇。
壮絶な2着争いの中、ほんのハナだけ抜け出したのが鉄の女イクノディクタス。
年を重ね、その鉄もそろそろさび付いてきたのでは?と思われいたこのタイミングでの激走。
2歳年下の才女シンコウラブリイを封じたことが印象深く、そこにかつての才媛シスタートウショウが意地で4着まで追い込んできたのも痛快なレースであった。
ちなみに、1番人気に支持されたニシノフラワーは10着と大敗。前走ではゼファーに完勝していたというのに、コースや条件が変わればこうも結果は変わるのか。だから競馬は難しくて面白い。
この秋、ゼファーは毎日王冠でシンコウラブリイに完敗するも、叩いた次の天皇賞秋を勝ち、マイル中距離の2冠王となった。さらに次のスプリンターズSでの戴冠も目指すが、そこではサクラバクシンオーに完敗した。
ゼファーのラブリイだったラブリイは、安田記念3着の敗戦を糧に以後は4連勝。
スワンS、マイルCSの直接対決でニシノフラワーとの立ち位置も完全に逆転し、マイルCS優勝を最後にそのまま引退した。
ゼファー、ラブリイ、フラワーというこの時代を彩った名馬が同時に引退した年であったが、翌年はスプリンター路線をサクラバクシンオーが席巻、マイル路線にはノースフライトという完全無欠の女王が誕生。ノースフライトとゼファー、ラブリイとの対戦がなかったことが惜しまれた。
いやぁ、この時代のタレントは尽きないね。魅力的な時代だったよ。これは本当に、私が競馬を始めた当時のことだからそう思うのだろうか。
さてさて、過去の想い出はこの辺にして今年の京王杯SC、中心はタワーオブロンドン、ダノンスマッシュあたりだろうか。
確かにこの2頭の巻き返しは必至と思えるが、30年近く前の思い出を振り返りながら当時の名馬たちと比べてしまうと、どうにもG1馬らしい安定感がない(そもどもダノンはG1馬でもないが)。
そしてこの京王杯自体が安田記念との結びつきを失い、毎年のように波乱傾向の強いレースとなった。そのこと自体は予想を楽しむ上では歓迎だし、当時の純粋さを失ってしまった私としては、もはや馬券的中に向けて邁進するのみだ。ということで、次回はレースの予想ネタを綴ろうと思う。
今回はヤマニンゼファーのことを書こうと思ったら、いろいろ派生していろんな馬名が出てきて、当時を知らない者にとっては何のこっちゃという感じだろうけど、親父の戯言としてご勘弁を。
現時点で京王杯で狙っている馬はこの馬
1970年代生まれ。生粋のギャンブラー(中央競馬のみ)でありながら、自然散策や温泉、寺社仏閣巡りなど一見すると相反するような殊勝な趣味を持ち、毎週のように出かけているので馬券は旅先で買うことが多くなっている。便利な現代に感謝。ほか、三国志や中韓歴史ドラマをこよなく愛し、中国4000年の歴史を持つ気功や太極拳などもかじっている。実生活では愛猫との2人暮らし。セミリタイアを夢に、競馬だけでなく、株式投資やFX、せどりなどいろんな金稼ぎには大いに興味あり。このブログもアフィリエイトやGoogleアドセンスを始めるきっかけとして立ち上げた。