競馬

追悼 ビワハヤヒデ 青春時代の最強馬

 

『競馬に絶対はない』

 

この格言をはじめて肝に銘じたのが、ビワハヤヒデが5着に敗れた天皇賞(秋)直後のこと。

今なら当時それだけ信じたビワハヤヒデも過信はしないだろう。

すなわち、ビワハヤヒデがそれまで積み重ねてきたタイトルは、菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念といったスタミナと持続力を要求されるレースばかりで、府中2000mで求められる適性は他馬に劣っていたと思うから。

(ただ、故障がなければ能力の絶対値でどうにかなっていたのか…そればかりは今となっては謎である)

 

 

当時、20歳の私は純粋無垢で、「強いものは強いんだ」という思いがあった。

ビワハヤヒデが負けるはずはない、少なくとも連対は外さないと信じていた。

何しろビワハヤヒデは全く隙がなかった。

 

先行して他馬に有無を言わせず押し切るレーススタイルは、かつてハヤヒデ同様に岡部騎手が騎乗していた最強馬・シンボリルドルフを彷彿とさせるほどだった。

天皇賞(秋)で5着に敗れるまで、15戦連続で積み上げた連対記録は、シンボリルドルフやディープインパクトですらなし得ていない金字塔。

当時、「ここまできたら引退までそのまま行ってまえ!」との思いもあった。

 

そんな準パーフェクトホース・ビワハヤヒデも、クラシックシーズンでは皐月賞もダービーも取りこぼした。

当時3強と謳われたナリタタイシンが皐月賞、ウイニングチケットがダービーを制覇。

ハヤヒデはそのいずれも2着に甘んじた。当時から能力的には一歩リードという感じがあったにも関わらず。

 

その時点でダービー未勝利なのが不思議なくらいだった大ベテラン・柴田正人の前に現れたウイニングチケットは、その名の通り、彼にダービーのチケットを手渡し、戴冠まで授けた。

ダービーでは、時にこのようなできすぎたほどの勝利が見られる。

橋口調教師に悲願を授けたワンアンドオンリーはその最たる例だろうか。

決して八百長ではないのだろうが、ウイニングチケットの勝ったダービーでも直線でぽっかりと内が空き、その間隙を突いたチケットがハヤヒデの追撃を封じた。

結果として、ハヤヒデがチケットを差すよりは、チケットが柴田正人の執念を乗せてハヤヒデの追撃をしのぎ切るという展開の方がハッピーエンドだったようには思う。

そんなわけで春の時点では、ビワハヤヒデは完全にウイニングチケットの引き立て役に回ってしまった。

 

ビワハヤヒデが一皮むけたのは秋。

最後の一冠・菊花賞奪取に向けて、浜田調教師は夏の間、故障も辞さぬほどに攻めに攻めた。

そのハードトレーニングに耐えたビワハヤヒデは菊花賞で見事に大輪の花を咲かせた。

その着差はなんと5馬身!

皐月賞、ダービー2着から菊花賞を先行して5馬身差で勝った馬が近年にもいる。

エピファネイアだ。

ただ、エピファネイアの菊花賞には、ダービー馬のキズナが不在、正直、どうぞ勝ってくださいエピファ様と言わんばかりのメンバー構成だった。

 

それに比べビワハヤヒデの菊花賞には、ダービー馬ウイニングチケットが前哨戦を制して挑んできていた。

しかし、春に苦杯をなめたそのウイニングチケットを5馬身以上突き放しての圧勝。

誰もがビワハヤヒデ一強時代の到来を予感した。

 

ちなみに、この菊花賞で大差の18着に敗れていたネーハイシーザーが、一年後の天皇賞(秋)で、ビワハヤヒデにリベンジするのだから競馬とは分からないものである。だからこそ面白いとも言えるのだが。

 

さて、ビワハヤヒデは顔の大きさを揶揄されることがあったし、葦毛の馬体も相まって、最強馬に君臨はしたが、どこか憎めない雰囲気があった。

擬人化された漫画などでは、ぬぼーッとしたキャラの扱いを受けることが多かったように記憶している。

そんな一面は容姿からだけではなく、肝心なところで引き立て役に回ってしまう役回りのイメージもあったかもしれない。

 

菊花賞を圧勝したビワハヤヒデの次走は当然のように有馬記念。

もはや同期に敵はいないが、それは古馬が混じっても同じこと。世論の評価はそうだった。

JCを勝ってここに挑むレガシーワールドや巻き返しを期すウイニングチケット、その年の春の天皇賞でメジロマックイーンを完封したライスシャワー、同期の二冠牝馬ベガ、前年の覇者メジロパーマーなど錚々たる面々が揃っていたが、当然のごとく一番人気はビワハヤヒデだ。

 

私もこのレースは負けないと思ったし、今の英知を集結させて予想してもハヤヒデ◎は変わらない。

 

しかし、ダービーで柴田政人&ウイニングチケットの引き立て役となったハヤヒデは、この有馬記念でもトウカイテイオー&田原成貴の引き立て役になってしまった。

ダービーに続いて、人智では計れない神の手がトウカイテイオーを後押しした。

何せトウカイテイオーの前走は、一年前の有馬記念(11着)だったのだから。

この異例のローテでも、テイオーの4番人気だったが、おそらく記念馬券や応援馬券によるところも大きかったように思う。それくらいテイオーの復活劇は常識外れの偉業であった。

 

 

しかし、ビワハヤヒデもデビュー以来の連続連対記録は守り通した。

期待には応えられなかったが、テイオーが勝ったことでよりドラマティックな幕切れとなり、チケットが勝ったダービーのごとく、最も良い結末という印象をファンに与えた。

 

そんな空気を読みすぎる(?)ビワハヤヒデだが、3歳での有馬記念2着なら上出来、翌年はハヤヒデが主役を張るであろうことは誰の目にも明らかだった。

 

ちなみにこの時、弟のナリタブライアンは朝日杯2歳S(当時は3歳だが)を制してはいたが、まだナリタブライアンがビワハヤヒデの弟という位置づけだったように記憶している。

 

さて、4歳になったビワハヤヒデは予想通り覚醒した。

京都記念 → 天皇賞(春) → 宝塚記念 を危なげなく楽勝。

 

実は覚醒ではなく自分より格下相手に適性のあった条件で勝っていただけとも言えるのだが、今はそんな野暮な話はやめておこう。

 

そうして春シーズンを完璧に締めくくり、迎えた秋のオールカマー。

再びダービー馬がウイニングチケットとの対戦となるが、その名のごとく柴田政人にダービーを献上するためだけに生まれてきたようなチケットは、古馬になって失速、もはやハヤヒデの相手にはならなかった。

 

そして次走が運命の天皇賞(秋)

この頃になると、ハヤヒデのライバルになりうるのは弟のナリタブライアンしかいないと思われていた。

例によって涼しい顔で天皇賞(秋)も制し、16戦16連対の大記録を引っさげて、有馬記念で弟との対決が期待されていたというのに。

その対戦が幻で終わるだけでなく、まさかこのレースがハヤヒデの最後のレースになってしまうとは…

 

ほんの些細は運命のいたずらで、過去に流れてしまった夢の対決の多いことよ。

私がパッと思いつくだけでも、これは見てみたかったと思う対決は、

ミホノブルボン VS メジロマックイーン、トウカイテイオー

シンコウラブリイ VS ノースフライト

ブルーザーブロディ VS スタンハンセン

 

あぁ、今もって惜しまれる。

7月に刺殺されたブロディは、8月にはハンセンと初のシングルマッチの予定が立っていたというのに…

 

(。´・ω・)ん?

 

 

ハヤヒデが離脱した有馬記念でナリタブライアンの敵はいない。

楽勝で暮れの大舞台を制したブライアンはその年の年度代表馬に選ばれて、もはやビヤハヤヒデの弟というよりは、ビワハヤヒデがナリタブライアンの兄という位置づけに立ち替わった。

 

肝心なところで大きな勲章を譲り続けてきた心優しき(?)ビワハヤヒデ。

ここもかわいい弟にその座を譲ってしまったのかもしれないな。

 

それでも、シャルードという超マイナー血統ながら、歴代2位のデビュー以来連続連対記録を誇り、絶対王者に君臨したビワハヤヒデを一生忘れない。

ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンの3強がしのぎを削ったこの時代が最も好きだという競馬ファンも多い。

私もこの時代にリアルタイムで競馬に触れることができたことは何事にも代えがたい宝物だ。

 

この3強はいずれも30歳の大台まで長生きした。

先にナリタタイシンが亡くなり、今日ビワハヤヒデも逝ってしまった。

しかし、寂しくはあるが、これは天寿を全うしたといえるだろう。

 

さて、このブログの更新ボタンを押した後は、YouTubeでハヤヒデの動画でも観るかな♪

 

ビヤハヤヒデの全成績

 

 


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