AJCCは最も印象深いレース。というのも全レースの中で生涯最も資金を投じたレースだから。
初めてのAJCCは1993年。1992年の秋の天皇賞から馬券を始めた私にとって、競馬が楽しくて楽しくて仕方のない時分。競馬には馬券で大儲けできる魅力もあったが、当時それ以上に私を魅了したのが、好きな推し馬を見つけて、好きなアイドルを応援するかのごとく、その馬の馬券に資産を費やすこと。例え外れたとしても、コレクションのための単勝馬券を買い求めたと思えば悔いなしとすら思えた。
当時の私の推しはレガシーワールド。
私には主役よりも脇役を応援する気質があるのだが(ひねくれているせいかも)、『三国志』なら劉備や曹操ではなく、昔から一推しは黄忠だ。孔明よりも法正や賈詡の方が好みでもある。
『水滸伝』では宋江、林冲、武松といった主役どころよりも、いぶし銀の脇役・花栄に最も心情移入した。
『キン肉マン』では、当然キン肉マンやテリーマンではなく、いち推しはアシュラマン、次いでウォーズマン、バッファローマンといった脇役の中でもそれなりに花のあるタイプ。
『白い戦士ヤマト』では主役のヤマトよりも、太郎丸、土佐王、青嵐号が好きだった。白い戦士ヤマトはマニアック過ぎて誰も分からないだろうが、闘犬をテーマにした犬漫画の金字塔で、同著者が後にヒットさせた『銀牙-流れ星銀』よりも個人的には面白い。
そんな私だけに、当時の花形ミホノブルボンではなく、その影武者と揶揄されたレガシーワールドを推したのは当然の流れ。
レガシーワールドは騙馬のため常に裏街道を歩む羽目になっていた。同厩舎の同期にミホノブルボンという歴史的スターがいたことで、レガシーは常に影の存在。そもそも、ミホノブルボンが無敗のままダービーを制したその日にレガシーはまだ未勝利馬だったから、その時点では比べる対象にすらなっていなかった。
しかし、去勢されたレガシーは憑き物が落ちたかのように走りまくり勝ちまくった。3歳7月から11月までの4ヵ月足らずで6勝を挙げるという離れ業を演じたのだ。7~9月までに月2走のペースで出走。それは手薄な条件戦ばかりではなく、9月にはセントライト記念を勝利、10月、11月には古馬相手のOP特別を連勝して破竹の3連勝。そこから中2週でジャパンC参戦は今の尺度では考えられない働いて働いて働いて働いて働きまくっている状態。
そのジャパンCでも世界の強豪相手に4着に善戦し、その頃には故障で戦線離脱したミホノブルボンの影武者を脱し、「もしかしたら今ならレガシーの方が上かも」と囁かれるようにすらなっていた。
一見すると分かりやすい強さを見せたミホノブルボン、これをプロレスに例えるならスタン・ハンセンのような万人受けするタイプ。片やレガシーワールドは玄人受けする真の強さを誇ったブルーザー・ブロディのようなタイプ。もちろん私はハンセンよりもブロディ派。
ところで、ハンセンとブロディも寸前のところで対決が夢のままで終わってしまったが、ブルボンとレガシーもニアミスのまま夢の対決で終わってしまったのが未だに残念…(どっちの夢も対決も見たかったよねぇ)。
さて、レガシーワールド、夏から皆勤してジャパンCで4着に激走した後も休むことなく走り続けた。有馬記念2着。メジロパーマーの大逃げにトウカイテイオー、ライスシャワーといった、前走でジャパンC、菊花賞を制したスターホースが翻弄される中、レガシーだけは唯一頭パーマーを追い詰めた。入線直後には完全に入れ替わっており、陣営にとっては痛恨の敗戦。のちに戸山調教師も小谷内騎手も後続の有力馬を意識してしまったがゆえの失策であったと供述している。
もし、この有馬記念を制していたらAJCCに出走することはあったのだろうか?
今となっては答えの出ない愚問だが、有馬を取りこぼしたレガシーは年明けのAJCCにも参戦。この頃にはミホノブルボンの長期離脱は確定的となり、騙馬で影武者だったレガシーワールドが競馬界全体の主役に躍り出ようとしていた。
未勝利馬から僅か半年でトップクラスに昇りつめたサクセスストーリー、とにかく二枚腰がしぶとくて根性、根性、ど根性ガエルと思うくらいの勝負根性。首をグイッと下に下げる独特なフォーム(私好み)など、当時のなみへい青年はレガシーワールドの虜になっていたのだ。
そんな推しのためにたっぷり資金も用意して自信満々で勝負したAJCC。だって、有馬記念の勝ちに等しい2着馬なんだから、G2で負けるはずもないと思ったし(猜疑心の強くなった今なら疑うが)、とにかく推し馬を応援したい、推し馬にベットしたい、推し馬のためなら万が一お金が飛んでもそれも本望…などとまで考えていた(バカやん)。当時はまだお年玉をもらえる年頃で、金なんてなくなってもすぐに入ってくるという甘さもあった。社会を舐めていたね。
結果、レガシーワールドはまさかの2着に敗れ去ったのであった…。ガーン
当時はまだ馬連のみだから2着でも相手を間違っていなければ当たったのだろうが、相手も狂って馬券も散った。いくら投じたか正確には覚えていないが、馬連の本線の相手には2万円だかの万単位を投じていたはず(今では100円単位も多くなりました…)。本線は確かレオダーバンだったと思う。かつての菊花賞馬の復活に期待したわけだが、復活したのはかつての菊花賞2着馬(ホワイトストーン)の方だった。
小雪のちらつく中山で古豪ホワイトストーンが復活したことは、彼のファンにとっては歓喜だったのだろうが、私としては愛しのレガシーの完敗に呆然自失(おまけにお年玉もなくなっちゃったよ…と涙目)。
有馬記念勝ちに等しい馬が格下のレースでこんなにもあっさり負けちゃうもんなの?ホワイトストーンって有馬記念では10着だったじゃん、なぜ2着馬が負けちゃうのさ?といろいろ考えさせられた一戦でもあった。こうした苦い経験を経て、競馬は能力だけでは決まらないということを理解していったのだろうね。その日その時の馬の状態、ジョッキーの判断、臨戦面など様々な条件で着順などいくらでも変わってくるのだと。
さすがのレガシーワールドも、これだけ働いて働いて働き過ぎたことでAJCC後に故障を発症したが、この馬のすごいところは秋に復帰して、復帰2走目にジャパンCを制してしまったところ。晩年は闘争心の欠落した走りしかできなくなってしまったけれど、ジャパンC戴冠という栄冠を掴み取った事実は未来永劫変わらない。
この2年後、私は再びAJCCで勝負を敢行した。「AJCCの借りはAJCCで返す!」と意気込んだ。それに見合う(と思われる)馬が参戦してきたからだ。その馬の名は「スターマン」。全盛期のナリタブライアンに唯一土を付けたワイズカウンセラー産駒。
ワイズカウンセラーといえば、ダビスタで無料種付け馬となっていたように失敗種牡馬の象徴のような存在だが、そんな馬がスター性の名を持つスターマンを輩出し、1勝クラス、2勝クラスを勝った勢いで重賞までも2連勝(計4連勝)。菊花賞こそ5着に敗れたものの、その次の鳴尾記念も楽勝して、中距離ならナリタブライアンの好敵手になるのではと目されたほど。この馬もわずか半年あまりでこの地位まで昇りつめた。どうやら私はこうして下から這い上がってくる下剋上馬が好みのようだ(おそらく自分も這い上がりたかったのだろうねぇ)。
しかし、レガシーワールドの借りをスターマンで返そうとしたその思惑は脆くも崩れ、スターマンは連対すらできずに5着という…。前走で重賞を4馬身差で勝っていた重賞3勝馬が、生涯の主な実績「クイーンS2着」程度の牝馬にも負けちゃうの?! 競馬って何なん?と思ったことは言うまでもない。
さて、今年のAJCC。もはやレガシーワールドやスターマンのような推しと呼べる存在はいない。昨今は前走で高配当をもたらしてくれた馬でも無情に切り捨てることも辞さない。むしろ、そうした馬は臨戦過程が下降するケースが多いので評価を下げることの方が多い。
ということで、冷静な視点でメンバーを見渡したところ、今年は菊花賞から直行の明け4歳2騎で仕方ないのかなと。ダブル好走があるかどうかはもう少し熟考したいが、少なくとも軸は2択のいずれか(今のところジョバンニ寄り)。もっとも2択になった時点で私の中では勝負レースからはオミットされるが。私が勝負するレースは、複数で軸を迷うことなく、登録メンバーを見た瞬間に「この1頭!」という馬がいた時のみ。その馬が断然人気でなければ尚よろし。
ただ、勝負云々は抜きにして思い入れのあるAJCだけに、当時ほどの資金は投じられなくとも、当時に思いを馳せて何としても的中したい。30年以上越しでレガシーワールド、スターマンの呪縛から解き放たれたいのだ(ってずっと呪われていたわけではなく、今となっては良い想い出なのですが)。
馬券的により楽しみなのは小倉牝馬Sの方。ここはココナッツブラウン一択です。
特別戦からの注目馬

1970年代生まれ。生粋のギャンブラー(中央競馬のみ)でありながら、自然散策や温泉、寺社仏閣巡りなど一見すると相反するような殊勝な趣味を持ち、毎週のように出かけているので馬券は旅先で買うことが多くなっている。便利な現代に感謝。ほか、三国志や中韓歴史ドラマをこよなく愛し、中国4000年の歴史を持つ気功や太極拳などもかじっている。実生活では愛猫との2人暮らし。セミリタイアを夢に、競馬だけでなく、株式投資やFX、せどりなどいろんな金稼ぎには大いに興味あり。このブログもアフィリエイトやGoogleアドセンスを始めるきっかけとして立ち上げた。